2014年7月13日日曜日

ブログを引っ越しました

女性上位の編集室2

この度、こちらのブログへと引っ越しました。

引き続きよろしくお願いいたしますm(__)m

2014年7月12日土曜日

米倉先生の足もみ

壇室長は、今すぐアポを取るよう私に命じました。私は、壇室長の足元で正座をしたまま、米倉先生に連絡をし、翌週に診てもらう約束をしました。

「どう? 調子は?」
白衣の米倉先生は、一段と美貌に磨きがかかった印象でした。
「はい、おかげさまで、気分も前向きになってきました」
私はできるだけハキハキと話し、米倉先生になるべく良い印象を与えられるようにつとめました。
「壇さんから聞いたけど、復帰したいんだって?」
私は、生活費の手当がなくなり、戻らざるを得ないことを伝えました。
「戻るったって、あの厳しい上司がいるところで、またやっていけるの?」
「は、はい、なんとか頑張ってみますので・・・・・・それで、そのためには先生の診断書が必要でして・・・・・・」
「本当に大丈夫なの? 嘘の診断書は出せないわよ」
「は、はい、体調もいいですし、もう大丈夫と思いますので」
「よく考えてみたんだけどね。いくら厳しいからっていったって、あなたの中でそれに対して、疑問や不満を感じてるから、逆にこういった病気になるわけね」
「は、はい・・・・・・」
「戸田さんっていったっけ? 女性の上司。あなたの娘くらいの年齢なんでしょ」
「はい」
「年齢や性別は関係なく、あなたの中で尊敬する上司としてちゃんと受け入れてる? そういうのはちゃんと相手に伝わるわよ」
「は、はい・・・・・・そこまでといわれると、考えが少し足りなかったかもしれません」
「少しじゃないわよ。徹底して考えないと」
「は、はい、すみません」
「その辺が理解できてない段階じゃ、復帰のための診断書なんてとても書けないわ」
「ど、どうすれば・・・・・・」
「簡単に言うとね、女性に対するリスペクトが全然足りないのよ、あなた。自分に都合の良い診断書書いて欲しいんだったら、私に対してそういったところ見せてくれる?」
「は、はい・・・・・・」
「昨日ゴルフで少し筋肉痛なのよ。ちょっと脚揉んでくれる?」
予想もしてなかったことに私は驚きましたが、とにかく診断書を手に入れて帰らなければ復職できません。
「お安いご用です。いつもやってますので」
私は椅子を降りるとリョウコの足元に跪いた。
「し、失礼します」
腕を伸ばして米倉先生の足首に手をかけました。
「ちょっと待って、ストッキング痛んじゃうから」
先生はそういうと、白衣の下に履いている紺色スカートに手を入れ、お尻を浮かしながらパンティストッキングをずらして脱ぎました。下まで降ろし、脚から外すと丸めて引き出しの中にしまいました。
「さあ、揉んで」
先生は左足を私の膝頭に載せました。
私が驚いて先生を見上げると、たちまち強い視線に射貫かれ、慌てて目を伏せました。足首からふくらはぎの方へ向けて揉んでいき、その上下運動を何度も繰り返しました。
先生はなにやら資料を読まれています。
「力ないのね。もう少し強く揉めない?」
私は、疲れてしまい手が止まるのを恐れて、また、どのくらい強く揉めば良いのか分からなかったので、六、七割程度の力で揉んでいました。
「すみません」
私は、八、九割の力で揉み始めましたが、先生の筋肉質の脚にはそれでも弱すぎるのかもしれませんでした。
「誰が手休めていいっていった?」
「す、すみません」
慌てて私は、脚揉みを再開させます。二〇分くらいやらされたと思います。
「次、こっち」
先生は、脚を外し、今度は右脚を私の膝の上に置きました。私は同じように足首から上の方へ両手を使って揉んでいきました。
「まだ弱いわね。あなたそれで本当に男? それだけしか力出ないの? 続かないし」
私は、さっきより力を込めたつもりで揉んでいますが、すでに手の筋が痛んできて、握力は半減しています。
「また、止まった」
「すみません・・・・・・でも、先生、凄い脚の筋肉ですね。何かスポーツをやられてたんですか?」
私はごまかすようにいいました。
「学生時代はいろいろやったわね。バレー、バスケット、テニス、格闘技も。合気道、空手。空手は、二段だわ」
「す、凄いですね」
空手が二段と聞いて、私はさらに真剣に揉むことにしました。
「何? まだ力残ってるじゃない? 空手が二段でビビってんの?」
私は、編集室ですっかり板についた愛想笑いを浮かべました。
「そういうとこなのよ、あなた。追い込まれないと真剣にやらないでしょ。まじめにやらないんだったら、私も復帰に協力できないわよ」
「す、すみません」
私は、必死になって米倉先生の脚を揉みました。しかし、手の疲れは本当に限界に達していて、苦痛で顔がゆがむようでした。
「顔見せなさいよ、こっちに向けて、手止めたら許さないわよ」
私は、肩で息をしながら、必死の形相を先生に向け、わずかしか残っていない力を振り絞って、ふくらはぎをなんとか揉み続けました。
先生は自分に逆らえない、年長の男を見て楽しんでいる様子でした。
「ほら、おんなじとこばかり揉んでる」
先生は資料を挟んだ黒いファイルバインダーで、私の頭を叩きました。パーンという音が静かな診察室に響きます。
思ってもいなかった先生の暴力行為に私は背筋が凍り付く思いでした。とてつもない緊張感が部屋に張り詰めます。
「いい加減にしなよ」
「は、はい、すみません」
私の目から涙があふれてきました。すすり泣きをしながら、弱々しく手を動かす私に先生は、「そうやってメソメソして同情引いてんだ。でもね、それって逆効果な場合もあるわよ」と、決して手を休めていいとはいいませんでした。
私は手の力も精神力も限界に達しました。その場にひしゃげるように崩れ落ちました。
「せ、先生、もうダメです。限界です。力が出ません・・・・・・ど、どうかもう、これくらいでご勘弁ください」
「ほんっとダメ男だね」
「はい、申し訳ございません」
「脚揉むことすらできないの? だったら何ができるの? 私、診断書なんて書く気にならないんだけど」
「あ、あのそれだけはどうか・・・・・・」
先生は深く椅子に座り直すと長く逞しい脚を組み、私の顔を見据えました。
「自分がやるべきことはやらなくて、欲しいものは要る? それってちょっと甘くない?」

2014年7月11日金曜日

壇室長に呼び出されて

私は、療養生活をまじめに過ごしました。

医師の米倉先生に指示されたとおり、午前中は本を読むなどして静かに過ごしました。復帰後の仕事に役立ちそうな書籍を図書館に借りに行ったりもしました。

午後は表に出て散歩し、調子の良いときには、軽くジョギングなどもしました。そして夜は、なるべく早く床につくようにしました。

そんな生活を始めて、三ヶ月位した頃、携帯電話が鳴りました。アルバイト先の会社の本部からでした。電話に出ると壇室長でした。取り急ぎ、会社に来て欲しいとのことでした。どこかよそよそしい感じの室長の声にちょっと不安を感じました。

約束の時間に資料室に行くと、壇室長が打ち合わせテーブルに座っていました。この机の下やそばで、数々の屈辱や虐待を受けたことが思い出され、私は涙が出そうになりました。また、同時に、ここへくる前に編集室に顔を出して、瀬戸さんや戸田さんに挨拶をしなかったことをとても後悔しました。

壇室長は相変わらず美しく、気品を感じました。室長は、私の現状を少し尋ね、私がおかげさまで、平穏な日々を過ごせ、調子が戻りつつあることを伝えると、少し安心した様子で、本題に入りました。
「会社から支給している生活費のことなんだけど、率直に言って、今月までが限界なの」
私はがっくりした顔を思わず室長に見せてしまいましたが、仕方のないことだとも思いました。アルバイトなのでしょうがありません。でも現実的にはお金が無いと生活もできません。
「来月から、また復帰できる?」

泣きながら許しを乞う私をブーツの脚で容赦なく何度も蹴り上げ、蹴り込む戸田さんの姿が目に浮かびました。
「もし無理なら、よそで雇ってもらうしかないわね」
これまでの面接の手応えから、よそで雇ってもらえる可能性は限りなく低い。ここは殴られても蹴られても、とりあえずは復職させてもらった方がいい。私は哀願するように壇室長を見つめました。
「なに、その自信なさげな顔は・・・・・・そんな顔してたら、誰もやとってくれないわよ」
なんとか、もう一度使っていただけないか、私は室長にお願いしました。
壇室長は、腕を組んで、黙って私の顔を見つめています。私は、ようやく彼女の要求に気づき、慌てて椅子を立ち上がり、女性の足元に正座し、床に手をつきました。そして、思い切っていいました。
「壇室長、この通りです。なんとかもう一度私を職場に戻していただけないでしょうか」
室長は、椅子から立ち上がりました。
「あなた戻りたいっていうけど、戻ったところで仕事ができるかどうかわからないでしょ」
私には、心なしか、壇室長が興奮しているように感じました。
「いつまた壊れるかわからない人間を、雇っておけるほど、うちは余裕ないのよ」
いつになく冷酷な室長に私は言葉を失いました。
「戻りたいなら、少なくとも医師の診断書がいるわ」
私は米倉先生のところで、診断書をもらってくるよう命じられました。

2014年6月28日土曜日

女医の米倉先生

紹介された先の病院の先生は、女医さんでした。石野さんの友人ということでおそらく同級生だと思われます。女優の米倉○子さんを思わせる知的で美しい先生でした。物言いがとてもはっきりしていて意志の強さを感じました。
「それは少し休んだ方がいいわね」
私の話を質問を交えながら一通り聞いて、米倉先生はそうおっしゃいました。
「今の時代だから、会社での厳しい指導は、そう特別なことだとは思わないけれど、あなたにはちょっときつかったのかもしれないわね」
おそらく三十歳前半だと思われる米倉先生ですが、はるか人生の大先輩のように私には思えました。そんな落ち着いた話しぶりと説得力がありました。ただ、私はアルバイトの身ですので、会社を休むと生活ができなくなります。思い切ってそのことを米倉先生に打ち明けました。
「そう。だけど、それは生活を切り詰めるか、当面の生活費をどこかで確保するしかないわね。会社にも相談してみたら? 室長さん、壇さんでしょ。あのひとなら相談に乗ってくれるんじゃないかしら」
米倉先生は、壇室長とも面識があるようでした。
私は鬱病と診断され、薬をもらい、しばらく米倉先生の元へ通院することになりました。そして、帰りに会社へ連絡し、壇室長のいる部署へ取り次いでもらい、その足で、再び壇室長に面談させてもらいました。
「そう。とりあえず、病気がよくなるまでは、休むしかないわね」
私が、生活費のことを相談すると、「事情はある程度わかってるから、なんとか労災で処理できるよう、上に掛け合ってみるわ」と壇室長はおっしゃってくれました。私は涙が出そうになりました。何度もお礼を言って、その日から私はしばらく休みをいただくことになりました。また、実際に、会社から生活費の保障をいただくことができました。

その後私は、平穏な通院生活をして、心身をゆっくりとリセットすることにしました。

2014年6月21日土曜日

室長と面談

私は戸田さんが研修期間を終え、その直属の部下となって、厳しい指導を受けるうちに、自分の精神状態がおかしくなっていくのに気づいていましたが、決定的だったのはやはり、口の中に使用後の生理用品を入れられたことでした。次の日私はどうしても会社にいくことができず、無断で欠勤してしまいました。瀬戸さんからかかってきた電話にもすぐでることができず、何度目かの電話で夕方にようやくでると、あまり怒られることもなく、明日は必ず来るようにといわれました。会社に行くと室長の壇さんに資料室へ連れて行かれ、誰にどんな指導を受けているのかを聞かれました。私は尊敬している室長さんにはあまり恥ずかしいことをいいたくなかったのですが、異常な指導に耐え続けるのは無理だと思って、洗いざらい報告しました。私の訴えを一通り聞いた壇室長は思ったより冷静でした。
「ところであなた、石野さんにパワハラのカウンセリング受けたんですって?」
私は驚きました。なぜそのようなことが会社に伝わっているのか信じられませんでした。
「石野さん、私の友達なのよ。だいぶ年下だけど。うちの社長とあそこの理事長は仲が良いの。その関係のパーティで知り合って。最近電話で話しているうちに、あなたの名前が出てきて、ビックリしたわ。ああいうところに相談するんだったら、私か瀬戸に一声かけるべきだったわね」
私はそのことをすぐさまお詫びしました。
私を殴らない壇さんが女神に見えました。瀬戸さんだったら間違いなく拳が飛んできたことでしょう。壇さんは、石野さんに連絡して精神科医を紹介してもらうよう、私にいいました。
「一度診てもらいなさい。ただ、会社の評判に傷がつくようなことはいわないように」
私は便器や汚物入れにされたことをいっているのだと思いました。それはある意味私を気楽にしてくれました。まさかそのようなことをされているとは、いくらお医者さんにでも報告するのはためらわれるからです。私はその日のうちに、石野さんに連絡を取り、精神科医を紹介してもらい、早速次の日に診てもらうことにしました。

2014年6月14日土曜日

戸田さんの生理

体も心もずたずたでしたが、私には宴会の給仕役という大切な役割があります。すぐに起き上がり、トイレで口をよくゆすぎ歯を磨くとすぐに戻って、みなさんのグラスにお酒をついで回りました。私は、厳しく指導いただいたことにお礼をいいながら、眞鍋さんのグラスにお酒をつぎました。瀬戸さんは、眞鍋さんがみんなの目の前で、私を便器として使ったことにとても満足しているようで、「今度から戸田と交代で、眞鍋にも前田をつけようかしら」というようなことをおっしゃいました。
今から思うとそれを戸田さんは耳にしたのだと思います。
「前田、こっちきて酌しろよ」
戸田さんから呼ばれ、私はしばらく説教を受けながら、ワインをどんどんついでいきました。かなり酔っ払ったところで戸田さんは次のように言いました。
「ところでどうだったおしっこの味は?」
眞鍋さんのといわないところに、戸田さんが眞鍋さんをライバル視しているような気がしました。お酒の香りが少ししましたという私を鼻で笑い、「女におしっこ飲ませられて、オマエ恥ずかしいと思わないの?」といい、私がその通りですというと、「だったら、もっと仕事きっちりやれよ」と大きな手で頭をはたかれました。私は頭をクラクラさせながら十九歳の女性に愛想笑いをしました。
「何だ、オマエのその顔。なんかムカつくな。アタシ今日生理だからいらついてんだよ」
私は、何といっていいかわからず、空になったワインボトルを見て、次の飲み物を尋ねました。
「いいよ飲み物はもう、それよりおしっこしたくなったから、あっちの床に寝ろ、便器」
私はすぐにいわれた通りに、先ほどと同じように床の上に仰向けになりました。
戸田さんが寝ている私の横に立ち、紺色のパンティを脱ぎます。そして私の顔を跨ぎました。戸田さんの股間から何やらヒモのようなものがぶら下がっているのに気づきました。
「そろそろ、タンポン交換しようかな」
戸田さんが冷たい笑みを浮かべて、私を見下ろしています。私は嫌な予感がしました。
「南さん、どこかに汚物入れないですかね?」
戸田さんが、南さんに笑いながらそういいます。
「足元にあるっしょ」
南さんがそういうと、皆さんの注目が私に集まりました。
「そうか、これ便器と汚物入れ兼用でしたね」
戸田さんはそういうと、私の顔の上にしゃがみ、「口を開けろ」と命じました。私はあまりのことに気が動転し、顔を引きつらせながら、必死で許しを請いました。そのようなものを口の中に入れるのは非常に危険なような気がして、おしっことはわけが違うと思ったからです。
「すぐにトイレに行かせてやるからやれよ」
戸田さんにそういわれるともう拒否することなどできませんでした。私は観念して、おしっこを飲むときのように口を開けました。戸田さんは、陰唇からたれ落ちたヒモをたぐるようにしてゆっくりと引っ張りました。するとそのヒモの先から赤く染まった綿の棒が出てきました。戸田さんは、ひもの根元のところを持って私の口の真上に持ってきました。どす黒い血を吸ったタンポンは私の顔の上で右へ左へとしばらく回転していました。
固唾をのむような雰囲気で、部屋の中は静まりかえりました。
戸田さんは上の白いところを指でつまむと、おそらくいつも汚物入れにそれを捨てるようにして、私の口の中へタンポンを放り入れました。生臭い鉄のような臭いが私の口の中に一気に広がりました。
「うわーっ、入れられちゃったよ、前田ちゃん、口の中にタンポンを」
「汚物入れ、前田あ」
「やっぱ戸田ちゃん、鬼軍曹はやることが違うね」
私は目で戸田さんにお許しを得ると、すぐさま起き上がり、部屋を飛び出して女子トイレに駆け込みました。そして本物の汚物入れに口の中のものを吐き出し、手洗い場で何度もうがいをしました。すると吐き気が襲ってきて、吐きましたが、胃の中には何もなく、出てくるのは胃液ばかりでした。私は、情けなさと恐ろしさで、しばらくその場で声を上げて泣きました。落ち着いて資料室に戻ると、戸田さんがおしっこを我慢して待ち構えていました。
「前田、消毒代わりに、口の中におしっこしてやるよ、寝ろ」
私は、それくらいならお安いご用ですとでもいう感覚で、その場に横になりました。

2014年6月7日土曜日

眞鍋さんの指導4

「口開けろ」
さらに眞鍋さんが腰を落とし、黒々とした陰毛が私の顎の先に触れました。
「前田、オマエ、仕事場におしっこ一滴でもこぼすんじゃねえぞ」
里田さんらしき声がします。
「こぼしたらオマエの責任だからな、ボコボコだぞ」
おそらく水野さんです。
眞鍋さんは、さらに腰を落とし、私の口に陰唇の部分を当ててきました。飲んでみて初めてわかったことですが、女性のおしっこが出るところは、陰唇の真ん中よりやや上、クリトリスの下のところにあります。最初の頃は、大きく口を開けていたのですが、近頃では、その穴を中心に口を密着させるようにすればいいことがわかってきましたので、おしっこをこぼさない自信はありました。私はいつおしっこが出てきても良いように準備をしました。眞鍋さんの下半身からいきむような力が密着した私の唇に伝わってきて、すぐに大量のおしっこが放出されました。私は角度を調節して、喉にそのままおしっこが流れ込むようにしました。こうすれば、口の中におしっこをためることなく、たくさんの量を飲むことができるのです。眞鍋さんのおしっこは、心なしかぶどうの香りがするように思えました。よほど大量にワインを飲まれていたのでしょうか。私は最後の一滴まで飲み干すと、眞鍋さんの命令に従って、陰毛や陰唇についたおしっこの水滴をきれいになめ取りました。
「やだ、こいつ、妙にうまくなってきてない?」
「まさしく、人間ウォシュレットだね」
「よし、今度から、宴会のときは全員トイレは前田の口ですることにしよう」
「もう、オマエいっそのこと『便器』って改名したら?」
「前田便器って、オマエ明日区役所に行って改名届出してこいよ」
大爆笑が続きます。私は、惨めさで気を失いそうになりましたが、実のところは、これで社員さんたちの気が晴れて、殴られずに済むのなら、それの方が楽かもしれないと思いました。